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明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。 昨年の東日本大震災そして福島原発事故後、私にもナニカ出来ないかと、 ファンの方々と広規 チャリティプロジェクトで3回のリポートと募金ライブをして、 仙台、いわき、南相馬へと、微力ながら支援してきました。 未だ見ぬ被災地の様子はどうなっているのか、リポートでは聞いてはいても、 自分の目で確かめられたらと、12月29日にチャリティー支援した福島県南相馬市に ボランティアNPOをしている渡辺孝文さんと行ってきました。 仙台を朝9時に出発し、南相馬市までは11時過ぎに着きました。 南相馬市の国道6号線の道を超えていった津波の爪痕がまだ、そこかしこに残っていて、 福島原発から20Km~30Km地点のこの町の苦しさを目の前に突きつけられた思いでした。 写真は国道6号沿いの本来は畑や、家だっただろう場所は、まるで埋め立て地の 工事中のような土をむき出しにし、船がドスンと転がっていた。 案内をしてくれた渡辺さんによると、4月に初めて来た時には、 まるで船の墓場のようだったと。 そのまま海岸に向かって車を走り進めると、 防波堤は、ところどころ残っているもの、皆折れ曲がったり、土がむき出しになったり、残っている堤防の手前は、津波の退き波が退ききれなくて残った水の小さな池が用水路のようにある。 堤防によじ上って海岸線を遠く見ると、 この遠くに見える火力発電所の壁もはがれ落ちていて、 コンクリートのがれきの山がみえた。 防波堤を降りて車へと向かう途中、 津波で流された子供のくつ、女性のくつが片方ずつ落ちていた。 胸が痛くなるな。 車に乗って火力発電所付近へと走ると、 そこは、海水浴場や、公園があったところへ。 松が数本あり、集落だった所。 でも何もない。 土台だけが残った家の跡。 家が見えたかと思って近づくと 港だったところも形が無く、 ちぎれた船や網が残っていた。 この港の横にはなんとか使えそうな船を修理している2人の漁師の人がいた。 強いな人間は! 港から6号線に戻る道はまだ電柱はぐにゃりと折れ、 見渡す限り、町だったはずの更地が続いている。 何も無い町の土壌は放射能に汚染されていて、まだ除染もできてないそうだが、 白鷺が車の前を群れをなして、飛んで行った。 人は誰もいないが、白鷺はこの広いのっぱらが気にいっているな。 ここからは原発から20Km圏内、パトカーが道を閉鎖し、ココからは許可がある車しか入れません、と丁寧に説明してくれた。ごくろうさまです。 目の前には釣具屋があり、そこはもう強制避難区域。 5m手前のドライブインは営業中。 そこからすぐの道の駅でトイレ休憩。 道の駅の人たちはほがらかに過ごしているのがほっとした。 ここまでは渡辺さんと私とアシスタントのくり子さんと視察し、 12月28日まで避難所として使っていた体育館へと。 ここからは南相馬市の職員の星さんに案内してもらう事になりました。 避難所は予定では2月までのはずだったのが、避難している方々すべての方々が 仮設住宅に引っ越せたので終了できました。と、安堵して話していました。 体育館の前には真新しいグランドがあり、ひとっ走りしたい気分だったが、 昨年3月に完成し、あとは教育委員会の検査を待つばかりの時に地震が起こり、 原発事故が起こり、と、未だ検査を受けられず、グランドの芝生は除染するのに5000万円かかるとのことでした。 市の車に先導してもらい、 チャリティーでベットを贈る仮設の小学校へ。 この仮設のプレハブの校舎には2つの小学校が入っています。 金房小学校、鳩原小学校。 もともとはこの地区の小学校の校庭。 10月まではその小学校も避難所として使われ、 11月から小学校を再開。 南相馬市の小学校7校が校舎にひしめき合って学校生活をしていたそうだが、 その2つの小学校用に校庭にプレハブ校舎が建てられたそうだ。 校舎は2棟立っていてその間が簡易廊下があり、教室への入り口があります。 その向こうには工事現場でよく使われるトイレがありました。 寒くてまたトイレ拝借。 チャリティで贈るベット6台は、金房小と鳩原小の2つの学校の保健室におかれるそうです。 金房小学校の山邉校長先生、鳩原小学校の箭内校長先生に学校の様子を説明していただきました。 校庭で遊べる時間は、一日2時間、教室には2つづつの空気清浄機が置いてあるそうです。 生徒の半数以上は南相馬市から離れざるとえない状況で、生徒数は以前の約半分。 授業は2学校一緒制。1学年数名しかいない生徒に2つの学校の先生が教えるという普通では考えられない程の授業を展開しているそうだ。1クラスに2人の先生がいるとは、よいことだな。悪い事ばかりではないと先生達も説明してくれた。 地震だけならこうでなかった20Km圏内の子どもたちの状況。 ベットの目録を手に2人の校長先生と記念撮影。 募金に協力してくださった多くの方々を代表してきました。 ご協力に心から感謝します。 学校を去るとき、ちょうど下校時間のようで、子どもたちの笑顔に会えた。 渡辺さんが、子どもたちが学校に戻って来た事で、おとなもがんばれるんですよ、と話してくれました。 そこから、市役所へ、 ミニFM局で、チャリティーライブの音源、私とくりこさんとで作った 「わたげ」の音源を渡しFMで流してもらうことになりました。 少しでも心が癒されたらいいなあ。 副市長と面談し、南相馬のこれからの話を伺いました。 先が見えないと言いつつも、海岸沿いの津波で何も無くなった土地は、 再生可能エネルギーのために使おうかとおっしゃってました。 力強い村田副市長のことばに私まで勇気付けられました。 南相馬市のHP http://www.city.minamisoma.lg.jp/kanko/index.jsp この記事が福島民報社と福島民友新聞社に載るそうです。 南相馬には「相馬野馬追」という伝統的な祭りがあり、その資料館や、 市のホールなど、視察させていただきました。 素晴らしい町でした。 原発事故によって、避難地区と自主避難区域になっていなければ、 海岸の悲惨な風景もきっと早く作業も進んだに違いなく、 それでも、放射能という目に見えない敵に負けないという意気込みで進んでいる 南相馬のこの日あった人たちに出会えた事に感謝です。 そして、 町のあちこちで見た「かんばっぺ福島!」の看板に逆に勇気をもらいました。 行ってよかった! 帰り際に渡辺さんから、ここで、広規 さんたちの音楽をして下さい!と言葉をもらい、みんなが少しでも笑顔になれるなら演ってみようと思ってます。 夜、仙台に戻って来て、5月にチャリティーした仙台ennを尋ね、 加藤社長から、ennは、大変でしたが、新しく進んでいるとの話を伺いながら、 旨い酒を飲みました。 長い文章になりましたが、 南相馬市の地震、津波、原発事故の被害を私の視線で見てきた報告です。 読んで下さってありがとうございます。 読んで下さったついでに、 これからも広規 チャリティーは続けます。 次回の日程は決まってませんが、南相馬に第2弾の支援をしようと思います。 チャリティーバンダナも新色がもうすぐ出来上がります。 何色あってもカワイイバンダナです! ライブ日程が決まったら、みなさん、ご協力をお願いしますよ〜! 。
by itokoki
| 2012-01-18 02:47
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